ご挨拶


ご挨拶

谷口緑猫展 実行委員会 岡崎洋子(旧姓:田和)

平成28年2月

この度、名古屋市民ギャラリー栄にて、谷口緑猫(本名 谷口友美)の遺作展となる「ヒヤシンスと少年:谷口緑猫の軌跡」展を開催する運びとなりました。
谷口緑猫は、生きるために描き、描くために生きた。遺された作品を手にとって眺めていると、そう思わずにはいられません。

現実の世界にある美しい植物や樹々をモチーフとしながら、その画面上の世界では、すぐ傍にあるにも関わらず決して視る事の出来ないあらゆる次元が、まるで谷口が覗いてきたかのように生き生きと描かれ、独特で不思議な物語が展開しています。
まばゆいばかりの溢れる色彩の中で繰り広げられる谷口の物語は、彼女自身の心象風景であると同時に全ての人々の心の原風景をも描き出しているようで、観る者はまるで媚薬をかがされているかのようにその世界に魅了されてゆくのです。

画家・中村宏氏が、彼女がドイツ留学を目指していた折に書いてくださった、谷口のための推薦文には
「現今、現代美術といわれる中での絵画表現はより困難なものになっているように思われます。そこにあってなお、本人は新しい絵画の可能性を信じつつ、広義の具象性を持って制作を行っています。表現主義的な方法と技法でユーモアとオカルト性を同時に捉えることをキーワードにして古くて新しい物語絵画を東洋的な志向の中で具現しようとしていることが確認されます。」
とあります。

谷口の信じた新しい絵画の可能性は、同時に彼女の可能性でもありました。
新しい作品をこれから先見ることができないということは、あまりにも悔しく耐えがたいことです。しかしこの魅力的で膨大な作品を多くの方に観ていただくことにより、彼女の世界は再び紡がれ拡がっていくと信じ、願い、この度の展覧会を谷口緑猫のご両親と有志にて企画いたしました。
何卒、多くの方々にご高覧いただけますよう心よりお願い申し上げます。
また今回の展覧会および画集制作にご協力いただいた多くの方々に深い感謝を申し上げます。

谷口が亡くなる三か月前に交わした、他愛ない近況報告のメールがあります。
最近読んだ本などの話をしていたのに、メールの最後に、唐突にこうありました。

「私は絵が描ければそれでいいんだ。」

それは本当に彼女の願いであり全てであったのだろうと思います。

彼女の絵の世界がこれからも永く人々の心に刻まれ、そして愛され続けますように。

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娘、友美の遺作展開催にあたって

母 谷口美津子

平成28年2月

愛しい娘が天界に帰ってから一年を迎えました。 まだ現実を受け入れるのに時間が必要ですが、おかげさまで娘の友達から沢山のエネルギーをもらい、日々元気に過ごさせてもらっています。

そんな中で、東京造形大学の有志の方々に、友美の残した絵画を整理して、画集の制作と遺作展開催に向けて活動していただき、心より感謝申し上げます。持つべきものは良き友達、何よりの力、財産でございます。無念を残した娘があの世からどんなに喜んでいることでしょう。こんなに有り難いことはございません。

友美はやっと鉛筆が持てるくらいの幼い頃から、紙があれば絵を描いていました。 幼稚園で描いた「ゾウさんのすべり台」は今でも鮮明に覚えています。

「美大に入って、絵を勉強し、いっぱいいっぱい絵を描きたい」という夢に対する情熱は幼い頃から変わりませんでした。その夢を実現するためにどれだけの量のデッサンを描いたでしょうか。ようやく夢がかなって大阪の親元を離れ東京での1人暮らしが始まりました。学生生活は素晴しい恩師と友人と環境に恵まれて、愉しくて楽しくて、満足し充実したものであったようです。

主人の退職を機に、私たちは都会を離れて田舎暮らしを始めました。岐阜県中津川市、東美濃の国、昔は中山道の宿場町で、水清く、山は緑に空青く、夜空には満天の星が輝く風光明媚で豊かな自然がいっぱいあるところです。

娘が東京の生活から10年間の月日が流れた頃、都会での疲れた羽を休めるには絶好のこの場所で再び父母娘三人暮らしがスタートしました。

私は朝から夕まで広い敷地にレンガを敷き、樹木や花の苗を植え、ガーデニングに精を出し大地と戯れていました。 友美は少しずつ田舎になじみ、中学校で美術の教師を始めました。もちろん思春期の子どもたちを教えるわけですからいろんな意味で大変でしたが、何事も一生懸命に取り組む性格なので生徒たちから親しまれ、愉しく過ごしキラキラと輝いていました。 疲れた身体と心を休めるにはうってつけの環境と時間を頂きました。

四季が廻り、次から次に咲く庭の花々に感動して友美の絵筆が進みます。

「絵を描いているときが一番心落ち着く。」と、夏休みと春休みは集中してキャンバスに向かっていました。

いつの日からか、誰が言い出したのかわからないけど、我が家は「ムーミンの森」と言われるようになりました。娘が子どもの頃から大好きだった「ムーミン」の… 友美は39歳の若さで旅立ちましたが、絵に対する情熱は人一倍あったと思います。

まだまだ未熟ではありますが、娘の絵に懸ける熱意が伝われば嬉しく思います。

この度、才能溢れる実行委員会の皆様の真心と技術が結集されて、画集制作や遺作展の開催など素晴しい展開になりましたこと、なんとお礼を申し上げてよいやら感謝に堪えません。心よりお礼申し上げます。

合掌。